有光酒造場は、明治36年(1903年)有光伊太郎により創業されました。
仕込み蔵はさらに古く、江戸時代に建てられた古い酒蔵を、現在まで修理改良しながら使用しています。
小規模生産の蔵ですが、百年を超える時間の中で、酒蔵自体が時代を積み重ねた存在感を醸し出しています。
有光酒造場は、明治36年(1903年)有光伊太郎により創業されました。
仕込み蔵はさらに古く、江戸時代に建てられた古い酒蔵を、現在まで修理改良しながら使用しています。
小規模生産の蔵ですが、百年を超える時間の中で、酒蔵自体が時代を積み重ねた存在感を醸し出しています。
当蔵は、高知県東部、安芸市赤野にあります。
山と海との間に位置し、背後からは大きく山がせまり、目の前には太平洋の水平線が広がる、のどかな集落です。
酒造りがはじまると、青い空に米を蒸す白い蒸気がもくもくと立ち昇る、おだやかな、ゆったりとした空気が流れる、そんな酒蔵です。
「安芸虎」の名の由来は、戦国時代(16世紀)に高知の七大武将である、県東部地域を支配した武将「安芸國虎」にちなんでいます。
残念ながら後に四国を平定した長曽我部元親に敗れてしまったのですが、敗戦の折り、自らの命と引き換えに家臣の身の安全を守った逸話は有名です。
安芸氏は、何世代にも渡り地域の人々から慕われ語り継がれた一族でした。
そして安芸家が滅んだ後も「安芸」はこの地域の地名として現在まで残っています。
当蔵の初代有光伊太郎は、土佐の安芸出身の三菱創始者岩崎彌太郎氏と深い親交がありました。
氏から強い刺激を受けた伊太郎は、志をもって活動する中で酒造業を興し現在に至ります。
二人が若かりし頃、氏が志を立て勉学のために江戸に出る折りには、有光家が協力したと伝えられております。
岩崎氏が三菱を起こし東京で成功を収めた後も、伊太郎は東京の岩崎邸を訪ね、共に語り明かしたというエピソードが残っています。
資料は現在、安芸市立歴史民族資料館に貸し出ししています。
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